2010年11月17日水曜日

May this fortune will be your happiness, i hope, my little ...

今日、ボクと一緒に苦楽を共にしてきた犬が、遠いところへ行ってしまいました。
飼うと決めてから、それは避けられない未来だったのかも知れません。
だからある程度は覚悟していたつもりでした。
でもそれが、ただの自己満足に過ぎなかったことに、どうして気付かなかったのでしょう。

ウェスト・ハイランド・ホワイト・テリアの女の子、名前はマリア。
ボクが故郷を離れて仕事に行った先で出会った、真っ白な犬。
そこでマリアは毎日のようにゲンコツで頭を叩かれていて、
それに同情したわけではないけれど、「助けたい」と思ったことが、
ボクとあの子との最初の繋がりでした。

当時のボクの立場は居候。
朝早く起きてやることと言えば当然、
3匹もいる犬に餌をあげることでした。

それから自転車で数十km離れた工場へ走っていって、
朝8時から夜7時まで汗だくになって働いて、
また自転車に乗ってよろよろ帰ってきたかと思えば、
外飼い2頭の犬の水のチェック、そして散歩をするのです。

散歩コースは大きな公園をぐるっと一周4km。
外で飼われていたのはボルゾイという体長160cm以上もある大きな犬と、
ウェスト・ハイランド・ホワイト・テリアという、
ホワイト・テリアとは名ばかりの、胴長短足のみすぼらしい茶色の犬でした。

体力づくりのために散歩中は全速力でダッシュしていたのですが、
ポーという名前のボルゾイ(大きなほう)は、言っちゃナニですが破滅的に頭が悪くて、
ボクが地面を蹴るのが怖いのか、少し離れては公園の木にリードごと突っ込む始末で、
それを外してやろうと近付いたボクを、長いリードで逆に縛り付けるという、
こう書いているとかわいいヤツなんですが、およそボクにとっては敵というか、
とにかく、ボクとは相性が悪かった。最後まで良い感情は持てませんでした。
そういうところがかわいい、というのも、わからないわけではありませんが。

それに比べると、マリアという名前をつけられたテリア犬のほうは、
散歩しているときに決してボクよりも前に出ようとはしませんでしたし、
必要以上に離れることも、必要以上にくっつくこともありませんでした。
ボクが立ち止まって初めてこちらの顔をじっと見上げて、
ぼんやりとそれを見詰め返していると、そのうちに好きなことを始める、なんて、
一言で表現すれば、ボクの好きなタイプだったんです。

例えば「お座り!」「伏せ!」なんてふざけ半分で命令していると、
一見するとちゃんと言うことを聞いているように見えるんですが、
本当は「命令口調で何か言われたので、座ったり寝たり繰り返している」だけのことで、
実際のところ「お手!」でさえ満足にできない(というか理解してない)有様でした。

またあるときは、側溝が怖くて渡れないのを見てボクが、
リードを一旦離して、持ち上げてこちら側へ渡してやろう、なんて考えていると、
リードを手放した瞬間に、これまで来た道を全速力で逆走していったので、
「おまっ…そっちじゃねぇんだよ!戻って来い!」と呼びかけると、
こちらをチラリと振り返り、数秒見詰めあってから、
また全速力で逆走していったという、わりと笑えないエピソードもありました。
鬼ごっこだと思って喜んでいたようです。

だから、決して知能が高いとか、そういうんじゃないんだけど、
ボクが歩こうとしている場所をサッと空けるとか、
無垢な仕草で人の警戒心を解くだとか、
そういうところで、気配りのできる子だったんだなぁ、と、今でもやっぱり思います。

ボクとボルゾイのポーとの仲は悪くなる一方で、拍車がかかったのかも知れません。
ボクはあからさまにポーを避けて、マリアとばかり遊ぶようになっていました。
休日ともなれば櫛を持って外に座り、膝の上にマリアを乗せて、
そのままマリアが寝入るまでずっとグルーミングをしていたほどです。

そのときのマリアは誰がどう見ても茶色としか言いようがなくて、
(結局あとから原因は土だったとわかりましたが)
毛もごわごわ、触るとベタベタしているということで、
そんなものを膝に乗せるなんて…と、居候先の家人に白い目で見られたのを覚えています。

冬のある日、家人がマリアを洗おうと言い出しました。
風呂に入れてあげるんですかと問うと、臭いが気になるから外で、と言う。
こんな極寒の中で冷水なんか浴びせたらどうにかなっちゃいますよと反論すると、
犬なんだから大丈夫、と、既にリードを強引に引っ張って、頭から水をかけている最中でした。

もう止めるに止められず、マリアがブルブルと震えているのを見て、
一刻も早く汚れを落としてあげようと、それだけを考えていました。
家人は、どこに持っていたのか、櫛でブチブチと毛玉ごと毛をむしり取っていきます。

マリアが少しでも身動きすると、家人は「ゴン!」と音がする勢いで犬の頭を叩き、
「ほら、今のうちだぞ」と事もなげに言ってのけるのでした。

そんな生活からさよならすることになったのは2年前。
見違えるように白くなったマリアと、故郷へ戻る新幹線へ乗ったのを、
今でも鮮明に思い出すことができます。
車内で、年配の女性の方が籠の中のマリアを覗き込んで、優しく微笑んでくれました。

実家でもマリアは快く迎え入れられて、そのまますぐ、生活に馴染んでしまいました。
まるで、そこにいるのか当たり前だったかのように。
殴ったり蹴られたりしていた過去を、綺麗さっぱり忘れてしまったかのように。

これで良かった。


ボクのところにいてこの子は幸せなんだ。


これから先もずっと。


ずっと……?

「別れるときはそりゃあ辛いぞ。」

当時の居候先の家人に、そう言われたことがありました。
「そりゃあそうでしょうねぇ。」なんて、ボクは適当に話を合わせていましたが、
そんなこと言葉で言われたって、理解できる人なんか誰一人いやしません。

「別れは突然に来る。」

そんな言葉、本に何度出てきただろう。
陳腐な言葉。
誰だって知ってることなのに。

今日、ボクと一緒に苦楽を共にしてきた犬が、遠いところへ行ってしまいました。
飼うと決めてから、それは避けられない未来だったのかも知れません。
だからある程度は覚悟していたつもりでした。
でもそれが、ただの自己満足に過ぎなかったことに、どうして気付かなかったのでしょう。

最後に撮った写真は、何の変哲もない普段の姿。
ボクの周りのどこを探してもない、何の変哲もない普段の姿。


このピアノの音が、今きみのいる場所へ届きますように。

Composed by sandmark,
"White Album" - "that was a white, a very white"


(ダウンロード: https://sites.google.com/site/sandmarknosouko/mp3okiba/orig_WhiteAlbum.mp3?attredirects=0&d=1)

ほんと、新しい飼い主さんのところで幸せになってくださいね♪

4 件のコメント:

  1. お空の上でも楽しく心安らかに過ごせるといいですね。
    サンドさんの文章って、なんとなく、宮沢賢治みたい。

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  2. 昨日は泣きまくって目が腫れてましたよ…。
    宮沢賢治は好きですね。「春と修羅」が一番好き。

    ところでまりあまだ生きてる件。

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  3. へ?・・・・すいません orz土下座

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  4. いえ、わざとわかりづらく書いたのでw
    こちらこそすみません。 orz土下座

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